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こんな時代だから

今回は映画の宣伝のことを綴ってみます。

僕らの映画『くそガキの告白』には、普通の劇場公開されている映画についている宣伝会社というものがついていません。
ので、ぼくとプロデューサー、製作母体のSUMIDA制作所の若手たちと手探りで泥臭くやってます。
監督だから映画が完成したらもう終わり、というわけにはいかないのです。
とにかく、この映画をいろんな人に、いっぱいの人に観てもらうためにできることをやりまくらねばなりません。

先日、映画宣伝の最大の武器のひとつであるチラシ&ポスターも完成し、いよいよここから本格始動です。
チラシ&ポスターを公開されるテアトル新宿に納品したあと、ぼくはすぐに新宿TSUTAYAに向かいました。
新宿TSUTAYAはくそガキに優しい。
昨年映画完成直後につくったポストカードもさりげなく貼ってくれ、改修工事中でバタバタの今回もレジ前の目立つところにババンとポスターを貼ってくれました。感謝!

新宿TSUTAYA


最初は少々挙動不審なヒゲのおっさんだと警戒されたけど、いまや、店員の皆さんにはおなじみの映画になったらしい。
ここから、もっともっとこの映画を色んな人に知ってもらえたらとおもう。


TSUTAYAでは、映画の旧作が全て100円で観れる時代になった。
そんな時代だからこそ、映画館でいろんな人と一緒になって映画を観ることの面白さをこの映画を通じて伝えたい。
しかもできれば空いた映画館ではなく、隣に見知らぬ人が座っている映画館で。
居間のテレビではなく、パソコンのモニターではなく、ましてやスマホではなく、映画は映画館で見て欲しい。
普段はあまり映画館に行かない人にも、くそガキの告白を届けたい。
映画と一緒に、映画体験の素晴らしさを届けたい。
映画への恩返しなんて言うつもりはないけど、せっかく映画館でやる映画なのだから、最初は映画館で観て欲しいのです。

新宿TSUTAYAの皆さんも映画が好きなのだ。
完全に商売のことだけを考えたら、まだTSUTAYAに並ぶ予定のないこの映画のポスターをこんな目立つ所に貼ってくれるわけがない。
俺だって新宿TSUTAYAが好きだ。地元の小さなビデオ屋にはない映画をいっぱい借りた。映画館で観たくても観れない映画を観ることができた。だから大好きだ。
これからもいっぱいDVD借りるだろう。
いずれ、くそガキの告白がDVD化されたら、DVDでもいっぱいの人に楽しんで欲しい。
でもそれは、劇場で観てからだ!
作り手のエゴかもしれないけど、まずは劇場で!
しつこいけど、何度でも言いたい。
まずは劇場で!
せっかく映画館でやるんだからっ!

そのために、日本全国、いろんな映画館で上映したい。
そのために奮闘しなきゃ。
なので、一度は、くそガキの告白を映画館で体感してください!
絶対だよ!
テレビより、パソコンより、スマホより、映画館で。
友達いるひとは友達誘って。
友達いない人は一人でも。
友達なんていないくていい。
一人でも、まわりに他のお客さんがいるなかで、暗闇でじっと見つめる大きなスクリーンは、とっても特別なんだ。
その空間で自分たちが作った映画が初めて流れたとき、それだけで涙があふれた。
そう、今年2月のゆうばり映画祭で初めて映画館でくそガキの告白が流れたとき、それだけで無性に感動したんだ。
ああ、おれはこれを目指していたのか、これが映画だ、とおもったんだ。
だから、みんなにも、まずは映画館から、くそガキの告白を届けたい。

こんな時代だから。
なおさら。
おねがい。


思いのまま書きすぎた。
たまにはこんな日もある。


【お知らせ】
くそガキの告白』の撮影福田陽平&照明上村奈帆が作った太陽族の新曲PVが完成!
映画『くそガキの告白』は、本気の言葉を込めたこんな熱いバンドと、とっても繊細な撮影照明部に支えられている映画なのです。


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墨田区からの第一歩

4月22日、『くそガキの告白』のロケ地(のひとつ。もう一カ所は埼玉県北本市)である墨田区で先行上映会のイベントが開かれた。ただの上映イベントではなく、2回目の上映では主要キャスト達の舞台挨拶はもちろん、主題歌担当の太陽族のライブあり、我武者羅應援團という応援団たちの映画への応援歌もついてくるというけっこう派手なイベントだった。

上映はDVD上映だったので画質や音が本来のものではなく歯がゆくはあったけれど、でも、多くの人がそんな画質とか音質を超えて映画にのめり込んでくれたようで、安心した。(褒められれば褒められるほど、もう一回映画館で観てほしいという思いが強まりもした)
イベントを取り仕切ってくれたスタッフたち、ボランティアで参加してくれたくそガキ応援団の皆、舞台挨拶にきてくれたキャストたち、司会で劇場をあっためてくれた若手お笑いコンビのブルーセレブ、熱いライブを披露してくれた太陽族、熱い言葉を投げかけてくれた我武者羅應援團、そして何より墨田区にいっぱい集まってくれたお客さんたちの力で、またひとつ映画が大きくなったように思えた。

422くそガキファミリア









上映後キャストスタッフとお客さんと朝まで飲み明かした。
そのとき、初めましてのお客さんやボランティアスタッフもいたので一人一人自己紹介をした。その自己紹介で映画をみた感想から今までの自分のことを振り返って涙をこらえたり、思いっきり泣く人もいた。ふとこの輪がとてつもないものに見えた。鈴木太一は監督としてはまだまだだが、鈴木太一が(映画をつくろうと)一歩踏み出した事で、この映画ができ、今回のようなイベントで盛り上がり、今みんながこうやって心底集まりたくて集まって朝まで飲んでいるという状況が素晴らしいじゃないか、という言葉ももらった。そんな状況で最後に自己紹介をしたら、そりゃあ泣いちまうだろう。何を喋ったかはよく覚えていないが、いつも厳しく怖い、とあるスタッフから今のしゃべり悪くなかったよ的なことを言われ、とても照れくさかった。

帰り際、今回のイベントの仕掛人であり、映画『くそガキの告白』プロデューサーの小林憲史さん(生まれも育ちも墨田区の生粋の墨田っこ)と握手をした。彼は今までみたこともないほど酔っぱらっていた。
そのときふと、撮影現場中に庭で一人ぼーっと煙草を吸っていた彼の後ろ姿を思い出した。それは自分の監督としての力不足のせいで撮りこぼしをしたり現場運営等色々うまくいかなかったときだ。その庭で彼に声をかけることはできなかった。彼と口をききたくない時もあった。
でも、今、目の前の彼は笑っている。まだまだ監督として未熟者の自分だが、多くの人の心をうつ最高の映画を完成させることができ(もちろん反省点もいっぱいあるが)、こうして彼の夢の第一歩である墨田区での映画と音楽のイベントを無事行うことができて、ほんとうによかった。


帰り道、押上の駅に向かって一人歩いているとき、ふと寂しくなった。
なんでだろう、よくわかんないけど、それはとても心地よいものと一緒にやってきた寂しさだった。


さあ、さあ、いつまでも感傷に浸っている場合ではない。
映画『くそガキの告白』をもっともっと多くの人に観てもらいたい。
俺達の闘いは始まったばかりだ。

422ツリー

自己紹介

こんにちわ、こんばんわ。

わたくし、鈴木太一と申します。
軽く自己紹介します。

私は学生の頃は特に映画青年であったわけでもなく、高校生の頃はプロレスばっかり観てました。友達も女も仕事もいらない、プロレスだけがあればよいと思ってました。人生をナメてました。

二浪して大学に入り気づいたら就職活動の時期。プロレス記者の道も考えましたが、なんとなく俺は社会を変えるのだ、プロレス記者じゃ社会を変えられないとか格好つけてテレビ製作会社を何社か受けました。が、落ちまくり、やっと合格したとおもったら、その会社内でかかってるクラシックみたいな音楽を聴いて気持ち悪くなり、何か不吉なものを感じ退社しました。社会をナメてました。

それから、ENBUゼミナールという1年制の映画学校に入りました。2002年、25歳でした。
映画館で偶然学校案内のチラシを見つけ、「君も劇場デビューしよう!」みたいなキャッチコピーにおどらされて、いっちょ俺も劇場デビューするぞ、映画撮るぞ、映画で世界変えるぞと意気込みました。
篠原哲雄(『月とキャベツ』『小川の辺』)という日本映画界のド真ん中で活躍する監督の指導を受けられることも心躍りました。篠原哲雄監督の人間力は想像以上のもので、授業は毎回毎回とても有意義でした。監督志望と俳優志望が一緒の40人ほどのクラスもとても居心地がよく、今までの学校生活でこれほど楽しかった1年はなかったとおもいます。
最後には卒業制作の監督に選ばれ、国会議事堂の前で若者が手榴弾を投げる『犯行声明申し上げます』なるテロリスティックな映画を撮り、卒業制作としてテアトル新宿で数日間公開され、ここから映画祭で賞を穫りまくって次は商業映画をドバーン!と撮るのだと、もうすでに映画監督になった気でいました。
しかし、賞なんて一個もとれませんでした。映画をナメてました。

それから師匠篠原哲雄監督の助監督募集がありましたが、落ち、後輩達の卒業制作を手伝ったり、小さな映画の助監督の仕事を少ししました。
助監督をやればやるほど自分がただ声がでかいだけで使い物にならないことが露呈され、どんどん年だけ重ねていきました。
ある日、自分は助監督からはのしあがれない、脚本を書こう、すげえ脚本を書けばいいんだ!とひらめきました。長編の脚本を書いて賞をとって監督になろうとおもいましたが相変わらず賞にはひっかかりませんでした。
とある知人に脚本を見せたところ、ENBUのころのほうが脚本面白かったよね、最近のキミ、なんかオーラがないよねと言われました。意味がわかりませんでした。

数年後、そんな自分に商業作品を作る機会がまわってきました。「怪奇!アンビリーバブル」というホラービデオシリーズです。何回か撮りましたが怖いホラービデオが撮れずいつもプロデューサーに怒られてました。そのプロデューサーはどんどん大きな映画をつくりはじめ、ホラービデオへの関心が低まり、編集室でよく居眠りをするくらい作品を軽く考えはじめたので、その隙をついて勝手に笑えるホラービデオをつくりました。自分自身が全面に出た、自分を主役にしたホラービデオを作りました。リリースもされました。「怪奇!アンビリーバブル 闇の都市伝説」という作品です。案の定それからその会社から声がかかることはありません。

そんななかでも、やまなし映画祭の皆様と一緒に『信二』という短編映画を撮り、それが縁で仙台短篇映画祭に呼んでもらえたり、東京ネットムービーフェスティバルでは田中麗奈さんに「田中麗奈賞」という賞をいただき、これからも映画を続けていいんだよと背中を押され、とても力をもらいました。よしやるぞ!とまた長編映画の脚本を書きました。賞は無理だ、直接会社に売り込んで資金調達のための営業を始めました。相手にされませんでした。俺の脚本は悪くない。不景気とかリーマンショックのせいにしました。
しかし、たまに撮った短編映画がちょっとした賞を1回か2回とったような奴は、この業界腐るほどおり、ぴあフィルムフェスティバルなどの賞を何度もとってる人達だってなかなか商業映画を撮らせてもらえない、しかもみんな自主映画でこれが俺にしか撮れない映画だとバンバン気持ちをぶつけるように、とにかく撮っている。自分は怖くないホラービデオと短編映画をちょろっと撮っただけ。実績もない、(当時の)脚本は悪くはないが特別凄いものではない。ただでさえ映画業界はどんどん景気が悪くなり、小さな会社が次々潰れていく時代、こんな奴にお金を出してくれる人なんているわけありませんでした。
気がつけば長く付き合っていた映画学校同期の恋人にも別れを告げられ、その彼女も新しい男と付き合いすぐに子供もできました。結婚式に呼ばれましたがどんな顔をしてよいかわからないのでとりあえず欠席しました。
二人暮らしの母親は年々シワと口数が増え、テレビで雇用不安のニュースがながれるたびに、三十過ぎていつまでも映画に夢見ている私を睨みつけてきます。


さてさて、軽く自己紹介のつもりが長くなってしまいました。
このような状況から私、鈴木太一がどのような経緯で、初長編作『くそガキの告白』を撮るに至ったのか、また次回書こうとおもいます。



↓ ENBUゼミナール卒業制作作品『犯行声明申し上げます』クランクアップ後の記念写真(2003年1月)

犯行声明集合写真


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↓ 短編映画『信二』

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プロフィール

鈴木太一(すずきたいち)
1976年6月16日生まれ。
東京都江戸川区出身。
映画「くそガキの告白」監督脚本。

鈴木太一のTwitter
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